最近2人の実践者仲間と会って話しての色々な気付きです
30代の彼は外見レベルの要求が高く、出会い系でタダマンセックスできる女の子と会ってもセックスを放棄していました
40代の彼も外見レベルの要求が高く、交際クラブで外見レベルの高い女の子とセックスしていました
二人とも、外見レベルが高くないとセックスしても喜びを感じませんが
自分の場合は、そこそこ可愛い程度でも喜びを感じます
「40代の既婚者で外見レベルはそれほど高くないこの俺が、20代の20くらいも離れた年齢の、そこそこ可愛い素直な女の子に、男として認められて、タダマンセックスし、好きとか気持ちいいとか言われて、街を歩いてデート楽しむ」
という事実は、自分にとっては大満足です
このレベルで満足感を得られる自分を、恐らく二人は羨ましいと思っているでしょう
しかし、40代の彼が羨ましいと思う面があります
それは、金絡みのセックスでも満足ができるからです
金絡みのセックスで満足できるのなら、本当に楽です
ところが、40代の彼にこのブログを教えたところ、考え方が変わりつつあるようで
もしかしたら、金絡みのセックスに満足感を得られなくなってしまうかもしれないです
若しくはどちらも満足感を得られるようになるかもしれません
後者であれば、喜びの範囲が広がって良いですね
30代の彼も逆に羨ましいと思う面があります
外見レベルに満たない、セックス確定の女とのセックスをクールに放棄できるのです
自分の場合は、せっかくのタダマンだから、次会うことはないとしても、相当な地雷レベルでなければ、一回はやっておこう、と思ってしまいます
これはある意味執着で
これを捨てることができれば、本当に可愛い女の子を当てるための行動に集中できるのです
30代の彼は、彼そのものの外見レベルも高いので、これができるのでしょう
よく
「幸せは気づくもの」
「今ないものに不満を感じるのではなく、今あるものに気がついて満足しよう」
などと言われますが、心の底から湧き上がる幸福感をその気づきで得られるかと言えば、自分の場合は気休め程度です
やはり、喜びの基準値はそうそう変わるものではないと思っています
唯一3人に共通するのは
既婚者で、配偶者以外の女とセックスしているということです
今度3人で飲みに行って、婚外恋愛、セフレ談義で盛り上がろうと思っています
このブログの実践報告も楽しみです