善悪など個人の単なる好き嫌いで法律や倫理観や常識など関係はない

世の中には善悪などないと思っています

「結婚しているのに他の女とセックスするなど悪いことじゃないの!」

「不倫や不貞行為は法律で裁かれるから悪いことに決まっているじゃないの!」

と思うかもしれませんが、そう叫ぶ人間が全ての法律やルールや常識の範囲内で生きているかと言えば、そうではないケースも多いはずです

信号無視や速度超過の道路交通法違反など、多くの人は普通にしているでしょう

酒を飲んで自転車に乗ったら飲酒運転ですが、多くの人は乗っているでしょう

大学のコンパで未成年で酒を飲んでいたり、親が飲ませたりしていることもよく聞く話しです

ツイッターでの誹謗中傷も、侮辱罪や名誉毀損ですし、ツイッターで漫画やアニメの作品を勝手に転載することも著作権法違反ですし、他人のDMのスクショを晒すのもプライバシー侵害です

私は自営業をやっているのですが、例えばネット通販で買い物したが、気が変わって、代引きを受け取り拒否した場合は、債務不履行になります

もし法律を守らないことが悪いこととするならば、自分自身が全て法律の範囲内で行動をしないと自分も同じことで、法律を守らない人間を批判する資格などないです

それなのに人は、自分の価値観の都合に当てはめて、人を善悪で判断し、自分の好き嫌いで、嫌いのカテゴリーに入る人間、しかもそれが同時に法律や倫理や常識を逸脱していた場合、ここぞとばかりにそういう概念を当てはめて

「ダメに決まってるでしょう」

などと批判するのです

しかし、そういう人間でも、違う分野では法律や倫理や常識逸脱したことをやっているものです

自分が犯している部分に関しては

「まぁ、これは仕方ないでしょう、みんなやっているし、普通でしょう」

と自分の都合のいい解釈で正当化しようとします

根本は、単なる個人の好き嫌いに過ぎないです

「婚外恋愛」

と書くと、否定派と肯定派が分かれます

否定派の意見は当たり前ですが、法律や倫理や常識に逸脱しているので、それに当てはめようとして、肯定派の意見は絶対に受け入れようとしません

「ダメと決まっているのだから否定派肯定派などということはなく、ダメに決まっている」

の一点張りです

そのくせ、不倫を美しく正しく描写したドラマや映画を興味深く見ているものです

その作品を、そういう行為を助長や幇助する作品だなどとは全く思わないものです

「婚外恋愛が間違っている」

と言いたいのではなく

「婚外恋愛は嫌い、生理的に無理」

と言っているだけです

倫理観や常識など、時代と共に変わります

昔は国際結婚や、親子ほど歳の離れた結婚も、批判の的でした

シングルマザーやバツイチも、少し昔までは、後ろめたい存在でした

しかし、今は時代の価値観が変化、多様化していて、決してそういう捉え方ではなくなっています

また逆に、昔は何も問題がなかったことも、今では批判の嵐になることもあります

とにかく、善悪ではなく、個人の好き嫌いなのです

仏教の悟りでも、世の中に善悪など存在せず、ただ目の前のことが起きているだけ、という解釈をします

そうすることで、物事を客観的俯瞰的に捉えることができますが、普通の人は好き嫌いのフィルターを通して物事を見てしまいます

当然、自分の嫌いな分野、感情的に受け入れられない分野については、それを否定するべく、その理由をかき集めます

そこまでならまだ良いですが、それを他人の価値観に当てはめて、自分の価値観を押し付けようとしてしまうから、世の中に争いごとが絶えないのです

「もちろん、そんなことはとっくにわかっている」

「色々な価値観が存在する」

「人それぞれの価値観を尊重しよう」

とはよく言われますが、やはり人間は感情の生き物で、自分が嫌いなことに関して、つい感情が先走って、否定してしまうものです

よく、政治や宗教や野球の話しはしない方がいいと言いますが

自分自身はそれら全てに対して興味がないので自分がすることはないですが、仮に相手からそういう話しをされても、聞き役に徹しますね

もし、自分の意見を聞かれた場合

「うーん、何とも言えないね」

「難しいよね、色々な意見があるし」

と言ってお茶を濁しますし、場合によっては自分の考え方を言わないこともあります

まして

「おれ実は、若くて可愛い女の子のセフレが何人もいるんだよね」

などとは絶対に言いませんし、言っても何の特にもなりません

ただし、法律や倫理や常識の範囲内の考え方は普通に言いますね

ところが、それに反する場合は、向こうは否定してくる場合があります

そういう時は素直に

「うん、間違っているよね、悪いことだと思っているよ」

と言ってしまいます

特に相手が法律や倫理や常識に反する場合、自分だって他の分野では反することをしているにも関わらず、ついそれに当てはめようとしてしまいます

そういう時は、否定するのではなく

「自分はそこはちゃんとする派なんだよね」

「なんか、良い悪いじゃなくて、そうした方が好きってだけ」

「まあ、色々な意見があるよね、それもよくある話しだよね」

などという感じで、個人の好き嫌いと捉えて、相手の主張も尊重すれば良いと思っています

決して自分の意見を変えるとか相手に合わせるとか迎合するとか八方美人になるとか、そういう意味ではないです

世の中には、法律や常識や倫理では測れない、広い多様化された価値観が存在することを知り、それら全ての意見を、受け入れるのでもなく、理解するのではなく

受け入れられないし、嫌いだし、理解不能だけど、一つの意見として尊重をする、決して否定派しない、という姿勢を人類全員ができれば、世界平和が実現すると本気で思っています

自分は仕事つながり、仕事でもプライベート寄り、飲み仲間、地元の友達、身内、女、色々な関係性を構築していますが、それぞれの場所で、それぞれの価値観が存在します

波風と立てても何の特にもなりませんので、確かに自分自身は色々な価値観を持っていますが、その場所その場所で、郷に入れば郷に従えで振舞うようにしています

もちろん自分の意見を主張することもできますし、そうすることで真の理解者を得るという考え方もありますが

別に真の理解者などなくても、自分はツイッターノウハウで若くて可愛い女の子とセックスやりまくっているから、別にどうでもいいのです

男の最大の喜びは女です

少なくとも自分はそう思っています

それさえ満たされれば、後はどうでも良いと思ってしまいます

誰かに否定されても何とも思わないですし、誰かを直接否定しようとも思いません

もちろん、自分自身も好き嫌いはあるので、嫌いなことは嫌いで、否定をしたくなります

しかし、直接否定することなど、完全に無駄です

ですので、こういった場所で感情を吐き出して、ガス抜きをしているのです

はっきり言って、以前お気に入りのセフレだった女の子を、既婚者であるにも関わらず、結婚をほのめかして略奪した元ヤン店長(40半ば)は嫌いですし「結婚は絶対にしない」などと言っていた彼女が、一度結婚をほのめかすアプローチをされた途端、即日で考え方を変える彼女に関しても今では否定的になっていますし、二人の務める店を知っているので、やろうと思えば身内を装って他のバイトに批判めいた手紙を渡して、相手を批判することもできますが、それをやっても何もメリットがありません

だからこそ、こういうところで書いているのです

相手の価値観を尊重をすると言っても、好き嫌いと感情はどうしようもありません

それを相手にぶつけず、こういう場所で吐き出すか、同じ考えを持った人間に話して共感を得るかすれば、何も波風を立てずに済みます

何故そんなことを突然書くのかと言えば、ある集まりの中で、自分の価値観を否定されたからです

もちろんその価値観は常識では間違っています

しかし人によっては、まあよくある話し、みんなそうでしょう、周りの友達みんなそうだよ、という分野の価値観です

しかし、その場所の価値観ではNGだったんですね

もちろんそれを最初から明かしたわけではありませんが、友達の話しの展開でバレてしまったのです

とはいえ、その集まりに行けなくなったとしても、別に問題はありませんので、良いのです

引き続きお気に入りのセフレとセックスやりまくる毎日を、今後楽しんで行けるからです

ツイッターノウハウのおかげで、はやり絶大なる人生における心理的な安定を手にしています

その集まりにいても、若い女の子とセックスできることは絶対にありませんので、本当に別に良いのです

一体何の話しかわからないと思いますが、当ブログはやはり、自分自身のガス抜き、考え方の整理に使わせてもらっている、ということです

気に入らなければ読まなければいいだけです

こちらからあなたに対して、強制的に読ませることは物理的に不可能です

とにかく、多様な価値観の存在を認めて、相手を否定せず、お茶を濁すくらいが、人生気軽に生きていけると思っています

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